PB-100の宇宙の中の人
PBロッキーの日記

日々是ライトニングなれ!インターネットラジオ『Lightning★Princess』と歩んだ3650日

愛聴していたインターネットラジオが2年ぶりに更新されていました (・∀・)b

気をよくして少し書いておきますよ、いぇ、書かせてください。

最近どぅ?

本題の前に、僕は以前にファミコンバブルを駆け抜けたすべての業界人への羨望をツイートしています。

ドラクエ123リメイクの発売日か。DQ3はFC版が直撃で同年代とはいまでもドラクエの話で盛り上がれる。無批判によかったっと語り合う。実際に当時のゲーム業界にいた人はどんな風にドラクエを見るのだろう。ドラクエに続けとRPGを作って玉砕したひとたち。例えそうでも羨ましい。

僕のような人は今ならソーシャルゲーム業界に身を投じるべきです。

しかし現在の僕は陸続きの Web 業界にいながら転職を考えていません。転職をしない場合ここしばらくの僕の業務は(そしてもうずっと!) e-ラーニングサイトの開発です。

いつの間にか羨望が消え、等身大の自分に満足を覚えていました。

以上、最近どぅ?でした。

バックトゥザ2006年

2006年のことでした。

僕は東京の煤けた下宿でバイトすらせずに燻っていました。

そんな頃ネットサーフィンの果てに Windows 用に『熱血硬派くにおくん』シリーズのクローンゲームをリリースしている石田裕明氏のホームページに出会い、間も無く彼と友人が放送しているインターネットラジオ『+Lightning★Princess+』(略称ライプリ、但し通はラプリと呼称する)の熱心なリスナーとなったのです。

DJプロフィール(うる憶え)

石田裕明氏
近衛大牙氏
  • ラジオ内では“近衛先生”と呼ばれる(記事中ではそれにならいます)
  • 昭和56年生まれ、群馬県出身
  • 千葉工業大学卒、ソフトメディア研究会OB
  • 声優専門学校修了
  • 進学塾講師
  • ラジオではDJ(いい声)を担当、スタジオ提供(1スタと呼ばれる)
  • 二葉亭四迷よろしく「このへんたいがぁ!」がプリンセスネーム(ライプリにおけるペンネーム)の語源

インターネットラジオ繚乱期を二人三脚で駆け抜ける

ライプリが第一回放送をリリースした 2005年は個人制作のラジオ番組のインターネット配信が盛んに行われていました。

現在はその多くが閉局し、ごく一部が活動の場をビデオ配信に写していることと思います。

10年を超えて放送を続ける個人局は稀有な存在といえます。

そんなライプリがどんなラジオだったか、うる覚えながらご紹介します。

2004年10月25日にねとらじの全てのデータがライブドアに委譲され、2005年2月4日にライブドア仕様のサイトデザインにリニューアル。名称も「livedoorねとらじ」になった。さらに、2005年6月にはフジテレビ系列の情報番組「とくダネ!」で紹介され、多くの主婦DJが誕生したといわれる。

終わらない同時代トークの合間に

声優を志望しいい声の持ち主の近衛先生がときに身体を張った話題を提供し、石田さんが小気味いい突っ込みを入れていた。

話題は美少女ゲームやアニメから子供時代に熱中したファミコンゲームやマンガなどのホビーに関するものが中心で、リスナーによるをたより(ライプリではお便りではなくをたよりと呼称する)もそれを踏襲したものでした。

そんな合間には、彼らの失恋もとい恋愛や社会人としての様子がインサートされました。

Pentium3 機を駆り同人クローンゲームをリリースしつつ、大学卒業後は化学系の派遣従業員をしていた開局初期の石田さんは、ゲームプログラマーとなる希望を語りました。

近衛先生は大学卒業後に声優学校を修了しデビューの機会を模索しながら進学塾で講師をしていました。

希望の道はやすやすとは拓けないまでもネットラジオを収録しエンターテイメントを人知れず届けていく姿に当時の僕は励まされ、彼らのようになりたいと憧れました。

インターネットラジオの虜となった僕は第二のライプリを探すも…

懐かしのゲームなどを語る同様なテーマのラジオはいくつもあったと思います。

いくつか聴いたりもしましたが結局ライプリに並ぶものには出会えませんでした。

DJ 二人の掛け合いが面白く、またどちらも上手い話題や切り返しで盛り上げる力を持っていました。

石田さんのホームページを主な導線にリスナーは増えていき、録音技術が向上したりジングルが入るようになりました。

まだラジオで読めていないをたよりの束を溜め込んでしまったぼやきがしばしば聴かれました。

あの二人のように生きていけばよかったんだんだよ、そう教えてあげたかったやつがいました

ラジオはコンスタンスに回を重ね僕は何度も聴き返すほどでした。

あるときは実家で引きこもり母と罵り合いつつ…

あるときはリーマンショックのために採用を逃し日経平均に翻弄される儚い我が身と思いつつ…

あるときは一念発起首都圏に出てハローワークに通う心細い日々の友に…

またある時は遠く西日本の僻地で働きながら放送を待ち望んでいました。

2011年―ドサ回りを経て念願の Web プログラミングを身につけ、勝手に石田さんの背中が視えたかと思ったとき、彼は Wii ウェア用のゲームをリリースしてのけていました。

任天堂から貸与された壊してしまったら大変なことになる、という特殊なボードを Core2Duo の自作機に挿しての困難な開発だったといいます。

一時期の終わり

この頃には石田さんの多忙によりラジオの更新は間延びするようになります。

そこからさらに数年が過ぎ、2013年暮れ―僕の社会人復帰が軌道に乗った頃ついにラジオは鳴らなくなりました。

気がつけば僕も自分の道をようやくにして歩き始め、憧れの誰かを必要としなくなっていました。

彼らのその後は Twitter などで気にかけつつも、また一つ人生の一時期が過ぎ去ったことを思いました。

2年ぶりの放送を聴いている俺、を視ているマリア様

そんな折、2年振りに新作がリリースされていることを遅ればせながら知りました。

ずっと Windows PC で聞いていましたが、いつの間にか僕も iPad mini を手にするようになっていました。

小さいプロジェクトとはいえメインプログラマーとなった僕は、変わらないトークに心地よく耳を傾けつつダラダラと日曜の午後を過ごしました。

石田さんがプログラムを担当したというスマホアプリ『くにおくんの熱血ドッジボール ALLSTARS!!』はまもなくサービス提供期間を終える(2015年12月14日17:00)と知って慌ててインストールしました。

20年経っても遊べるファミコンゲームとは異なりサーバとの連携が切れたら最期、アプリは遊べなくなってしまいます。

エンディンぐぅ、君は君自身のためだけに這いずり回っていたんだ

20年前の僕にこっそりそのことを教えてあげたら「それはなんて時代になっちまったんだ!」

ふた言目には「お前はいったい何をしていたんだ!」と言われてしまうかもしれません。

悪いけど、僕はなにもしなかったし、なにも出来なかったんだよ…

そんな201xではありますが、それでも、、、すべてのチルドレンに光アレ!

「せぇ~の、マミマミムゥ~~!」

ご清聴アザース!

それにしても“マミマミムゥ~”ってなんなんですか?

…LP(ライプリリスナーに付与されるポイント、マミマミムゥについて質問するとジャブジャブ貰える、貯めると、良い)ください。