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PB-100の宇宙の中の人
PBロッキーの日記

紀和鏡『あのこをさがす旅』をめぐる旅

昨年の記事 「『ノーライフキング』と『あのこをさがす旅』」の続きです。また、この記事の続き「紀和鏡『あのこをさがす旅』の中間報告、2017年熊野大学の夏期セミナーにて」があります。

書評『あのこをさがす旅』が届く

あのこをさがす旅 地平線ブックス 紀和 鏡, 飯野 和好

年末の多忙を縫って図書館に複製依頼していた書評がようやく届いた。評者は、浅川玲子。『子どもの本棚』(1990年8月号・日本子どもの本研究会)

どんな方かとお名前を検索するとまずはホラー小説『リング』『らせん』の女性記者の名前が出てくる。その検索結果をかき分けて、それらしい人物が出てきた。

山梨県立図書館在職中から県内図書館の振興、児童サービスの発展に尽力するとともに、子どもの本、子どもの読書に係わるボランティアグループや研究団体の育成に努めた。この結成、指導したグループが、現在、地域での子どもの読書推進活動の中心となって活動している。また、自らもボランティアとして、自宅に「やまばと文庫」を開設し、本の貸出や読み聞かせを行うなど、子どもの読書推進を実践している。

やまばと文庫で検索するとさらに以下の記事が見つかる。地域文庫という興味深い活動が紹介されている。

◇甲府の浅川さん宅「やまばと文庫」--孤塁守り児童書3500冊 住宅地図を眺めていたら「一坪図書館」という文字が目にとまった。県立図書館に聞くと、1973年から78年まで県が一般住宅や公民館などに設置していた全国でも珍しい公設民営の小さな図書館のことだという。現在も、地域文庫として運営する人もわずかながらいる。背景を取材した。【沢田勇】 「始めた当時は『一坪』という言葉がぴったりでした」--甲府市西田町の浅川玲子さん(79)は72年、地域文庫「やまばと文庫」を自宅の玄関に開設し、地域の子供たちに開放した。MAINICHI 2009-05-05

ファミコンのスイッチが切れた後に

さて、評者はこの物語がお気に召さなかったようだ。当該部分を引用してみる。

一つでも主人公(剛太)が考える場面があると、危機感も感じられ、よりストーリーにメリハリがつくのではないだろうか。

現実と夢が入り混じった物語だが、もっと現実的であれば迫力も出てくると思われる。

この物語の登場人物は、ほとんど自分の位置や思考を持ち合わせていないためか、ファミコンのスイッチが切れた後には、視覚・感覚共に何も残らず心さみしい。

図書館の郵送複写サービスを利用して書評が届く

評者は主人公・剛太に世界や社会とはいかないまでも、失踪した父を見つけ出し家族を再生させる、といったシーンを期待したのかも知れない。

最初のうちアレコレと思案を巡らし冒険に備えるような描写もあったが、次々と襲い来る圧倒的な怪異に流されるまま漂う心細い存在となっていく。このような主人公に実は僕にはあまり違和感も不満もなかった。

あるいは小学生のときの僕は物足りなさを感じていたのかもしれない。しかしそれから20年を経ても読み返させ、ブログを書かせ、調べものをさせている。僕は完全に『あのこをさがす旅』と紀和鏡の虜のようである。

紀和鏡はなぜ『あのこをさがす旅』を書いたのか

イラストは僕の手による作品内ゲームのイメージ

鏡の略歴を見ると一貫して書いているのは SF や伝奇ものだ。このうち僕が手に取っているのは2冊。

狙われたオリンピック』(集英社文庫、1987年)では、ソウルオリンピックに照準を合わせて生物兵器テロを画策するネオナチ組織と、日本を影から牛耳る巫女集団との暗闘が描かれる。

この巫女集団は、鏡の作品に度々登場する重要なモチーフのようだ。『夢熊野』(集英社、2002年)では、霞の向こうに見え隠れした巫女達が前面に現れて、彼女らの活躍、愛憎、戦争が源平時代の熊野を舞台に描かれる。

先の巫女集団の中心におわすのは、あるいは『夢熊野』の主人公・八百比丘尼の末裔なのかもしれない。


さてさて、以上の流れから大きく外れて、『あのこをさがす旅』は書かれている。

1945年生まれの紀和鏡は、1990年に54歳。二人の娘はこのとき18歳と16歳。年頃になった娘達を他所にファミコンを独占している鏡だったのだろうか。

いや、娘達はそもそもファミコンをねだらなかったかも知れない。はてさて、鏡がどのようにファミコンと接したのか?イメージが湧かない。

そしてどうして唐突にファミコンにまつわる物語を書こうと思ったのだろうか?

『ノーライフキング』いとうせいこうとの接点を探す

剛太とその家族 と剛太にとっての“カミ”または“みどり”

僕は、鏡が『あのこをさがす旅』に取り組んだのは『ノーライフキング』を受けて、ではないか?と想像している。

『ノーライフキング』のベストセラーとなったことに比して、消化不良に終わったそのラストシーンなど、自分であったらその素材をこう料理する、といった経過があって、あのような作品に実を結んだのかもしれない。

実はこの点を確かめるまたとない機会があった。 2013年の熊野大学という定期開催のセミナーに於いて、紀和鏡といとうせいこうはどちらも講師として名を連ねていた。

絶好のチャンスを逃してしまった。またしてもあのこは僕の手をすり抜けていったようだ。